マンドリンのストラディヴァリと賞賛された、銘器中の銘器

☆1915年制作、本家Luigi Embergher制作のマンドリンが入手できました
ルイジの59歳の時のもっとも円熟期の作品で、まさに楽器作りに一番脂ののりきった時期の制作といえます。

    
エンベルガーといえば日本のマンドリン界では、創始者ルイジ・エンベルガー(Luigi Embergher 1856-1943)が死去した後、弟子のパスクアーレ・ペコラーロ(Pasquale Pecoraro1907-1992)が後継者としてエンベルガーのモデルを作り続けてきたとされてきました。これが神戸のロッコーマンを通じて長年にわたりに渡り日本にエンベルガーとして輸入されていました。
ところが最近熱心な愛好家の調査により、興味深い事実が判ってきました。
   
 
  • まず、判明したのはルイジの死後、ドメニコ・チェッローネ(Domenico Cerrone)がルイジ・エンベルガーのラベルでマンドリンを作り、戦後も作り続けられたこと。
  • 時折オールドとして出てくる、ルイジが死んで1944年より後に作られた(下記宮崎氏のメール参照ください)、ルイジのラベルのマンドリンはドメニコ・チェッローネによって作られた楽器であることと、しかもDomenico Cerroneという名前は楽器には記されていないこと。
  • 戦後エンベルガーにはペコラーロの作った楽器 [Embergher-Pecoraro] とチェッローネの作った [Luigi Embergher] の2種類が存在したこと。
  • ドメニコ・チェッローネの死後彼の制作道具一式はイタリアのアルピーノ町にエンベルガーの記念館として、全て資料と共に展示されている。これがルイジ・エンベルガーから受け継いだ道具一式と考えられる。しかもアルピーノの町にとってこのルイジ・エンベルガーは町の誇りであること。
  • 日本に引き取られた制作道具(下記参照)は分家であるペコラーロが考案したものと思われ、彼自身の制作道具であること。
  • ペコラーロの制作道具一式が日本に引き取られたことを、本家のチェッローネの遺族が全く知らなかったため、一時返却を求めていたこと。
  • このことからして、本家では全く日本でEmbergherモデルが作られることを了承はおろか、聞いてもいなかったことが推測できる。
  • イタリアのもっとも権威ある出版物で、イタリアのマンドリン制作者全ての経歴を記載した「Dizionario dei costruttori di strumenti a pizzico in Italia 」(下記資料)には、ルイジ・エンベルガーの後継者はドメニコ・チェッローネであるとはっきり記載されている。また同じくペコラーロの項目にはルイジ・エンベルガーの弟子であると書かれている。

等の新事実が判明してきました

 
 さらに京都にあるギターマンドリン専門店「サロット」代表 宮崎氏よりさらに詳しい情報をいただきました。あらためましてこの場をお借りして御礼申し上げます
宮崎氏は自ら石村隆行氏とともにイタリアに渡りカラーチェ家やこのアルピーノのルイジ・エンベルガー&ドメニコ・チェッローネ記念館を訪れておられます。

「宮崎氏のメールより抜粋」
Domenico Cerroneについて、ルイジ没後のエンベルガーを製作していた、となっていますが、
正確には、ルイジは、存命中の1938年にエンベルガー工房をチェッローネに譲ったようです。
「優秀な弟子であり、信頼できる人物ドメニコ・チェッローネ氏にルイジ・エンベルガー工房を譲る・・・」
という、ルイジの直筆の書面を、イタリアで見てきました。
したがって、1938年以降のLuigi Embergher ラベルの楽器は、チェッローネ率いるLuigi Embergher 工房の作品、となるようです。
ちなみに、1954年にドメニコ・チェッローネが没した後も、息子のGiannino Cerrone が引き継ぎ、1960年まで続いたとの事です。
アルピーノでは、エンベルガーマンドリンはチェッローネ父子で途絶えたという事になっています。
なお、Pasquale Pecoraro は、Domenico Cerrone の甥だったように思います。こちらは分家ですね。

アルピーノで、ルイジの工房で働いた、という老紳士に話を聞く事が出来ました。
最盛期は、アルピーノの工房で週に15本前後製作して、週1度の便でローマへ運んで販売したそうです。
この人は、エンベルガー(エンベルゲル)の弟子である事を、とても誇りに思っているようでした。

 イタリア、アルピーノにあるルイジ・エンベルガー&ドメニコ・チェッローネ記念館

エンベルガーの専用サイトもご覧下さい
 1992年ペコラーロが死去、後継者がイタリアにいなかったため、日本の制作者田鎖賢彦氏が制作道具一式を買い取り、日本においてエンベルガーモデルとして現在制作を継承しているが、パスクアーレペコラーロと田鎖氏との間には全く師弟関係はなく、田鎖氏は岐阜のマンドリン制作家川田一夫氏の門下。
ペコラーロの使っていた道具、木型を使ってエンベルガーモデルと称して制作されている。従ってペコラーロから受け継いだ楽器作り、長年にわたりマンドリン奏者を魅了してきたあの特徴ある、エンベルガートーンがこのモデルに生かされているかどうかは評価の分かれるところですが、まだ作られ始めた歴史が浅いため今後を見守りたいところです。
   
 

おなじみ女神に竪琴のラベルは年代を物語ってます。右上にうっすらと見える数字が1915年と書かれてある

ネック裏には上下逆に 上(ボディ側)に[ L.EMBERGHER ]  下(ネック側)に [ ROME ] と 刻印が押されている

    
   
   
 エンベルガーが世界的に人気があり評価が高いのは、エンベルガートーンとも言える特徴ある音色に加えて、その美しい洗練されたスタイルにある。
どの角度から見てもすばらしい、完成された美しい姿、流れるようなボディーライン見せてくれる。まさにマンドリンの中の芸術品といえよう。
弦巻き一つとって見てもまさに洗練されたデザインの美しい工芸品といえる。
あの世界的有名な奏者であったS.ラニエーリが愛用していた写真はあまりにも有名ですエンベルガーが世界的に人気があり評価が高いのは、エンベルガートーンとも言える特徴ある音色に加えて、その美しい洗練されたスタイルにある。
どの角度から見てもすばらしい、完成された美しい姿、流れるようなボディーライン見せてくれる。まさにマンドリンの中の芸術品といえよう。
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あの世界的有名な奏者であったS.ラニエーリが愛用していた写真はあまりにも有名です
 



《その華やかな業績から「マンドリンのストラディ・ヴァリ」と賞賛された》
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[ Dizionario dei costruttori di strumenti a pizzico in Italia ] より
Giovanni Antonioni 著 
TURRIS EDITRICE CREMONA

 オールド楽器、現行楽器、資料楽器、アンティーク楽器など主催者がこれまでに集めた楽器を是非ご覧下さい
マンドリン編
三大銘器メーカー
 6.ルイジ エンベルガー(Luigi Embergher)
  [1856.2.4~1943.5.12]
 1915年制作 コンサートモデル