当時在独の元メンバー川口雅行氏を通じて、イタリアに留学中だったSMDのOB、
岡村氏にお願いしてエンベルガー工房で別注して作ってもらった作品。
岡村氏によるとエンベルガーが発注を受けて涙を流して喜んでくれて「おそらくこれが自分の最後のチェロ制作となるので、
一世一代のマンドロンチェロを作ってみせる」といって作った傑作作品です。
できあがった作品を「俺のチェロはピアノより大きな音が出る」といったそうです。
完成時は普通のチェロより少し鳴る程度だった楽器でしたが、20年近く弾き込んでくると、
すばらしい音色と大音量が出るようになってきました。やはりペコラーロの最後に残した言葉は本当でした。
特に国産のチェロとは音色が全く異なる、明るい澄んだ、ペコラーロ独特の音の作りになっています。

エンベルガーの生前、数多くのマンドリンが輸入されましたが、今となってはマンドロンチェロは希少価値があります。
裏板のリブの細かさは、ペコラーロの持つ最高の技術を駆使して作られたものと思われる。

全体の形はすべての面で完成され尽くした、すばらし美しさを持つ、低音系でこれだけの美しいボディーを持つのも
やはりエンベルガーが最高の楽器と評される理由の一つに数えられる。
楽器というものは鳴るという最低条件を見たしながら、なおかつ見た目で美しいと感じるものでなければならないことが
このエンベルガーの作品を見ればわかる。
美しい姿にふさわしい、音色、ボリューム、音のとおり、弾きやすい、この5大要素を備えた楽器である。


☆エンベルガーとは
  • 1870年ドイツにてリュート制作家としてルイジ・エンベルガー(Luigi Embergher 1856-1943)が起業
    (ルイジ・エンベルガー:1943年死去)
  • 1907年10月13日パスカル・ペコラーロ(Pasquale Pecoraro)が イタリアの小さな町アルピーノ(Arpino)に生まれ、
    8才の時エンベルガー氏の工場(アルピーノの町にあった)に弟子入りする
  • 当時から全世界的にマンドリンのStradivariusとして知られており、ローマにも店を持ちそこから販売、輸出も行い、
    同時にロシア皇帝、イタリア女王など、たくさんの人からゴールデンメダルを受賞
  • 1935年世界的恐慌から、エンベルガーは輸出を中止せざるを得なくなり、工場を閉鎖するはめに
  • そのとき28才であったペコラーロは当時エンベルガーの工場長をしていた叔父である、
    ドメニコ・チェッローネ(Domenico Cerrone)とともにエンベルガーを継承
  • 1956年ドメニコ・チェッローネ死去するが、アルピーノの町でマンドリンを作り続ける。
    この間にも楽器の改良を重ね、次第によくなっていく
  • 1960年パスカル・ペコラーロが住所をローマに移す。これまでに制作した弦楽器は
    マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、マンドローネ、クアルティーノ、リュート、高級コンサートギターに及ぶ
    また輸出先も、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、アイルランド、そして日本など全世界に及ぶ
  • 当時の著名な演奏家で彼の楽器の愛用者は、 
    Giuseppe Anneda ,  Nino Cantania,  SebastianoArena, Silvio Ranieri などがいる。
  • 1987年ペコラーロが死去、後継者がイタリアにいなかったため、日本の制作者田鎖賢彦氏が制作道具一式を買い取り、
    日本においてエンベルガーモデルとして現在制作を継承しているが、パスクアーレ ペコラーロ と 田鎖氏との間には師弟関係はない。
  • また最近判明したことはルイジの残した制作道具をドメニコ・チェッローネ(Domenico Cerrone)が引き取り、彼の死後はイタリアのアルピーノ町にエンベルガーの記念館として一式、資料と共に展示されている、これはインターネットにも掲載されている
    従ってペコラーロの制作道具は彼自身が考案して生み出したものと考えられ、この制作道具が日本に引き取られたものと思われる。
 オールド楽器、現行楽器、資料楽器、アンティーク楽器など主催者がこれまでに集めた楽器を是非ご覧下さい
セロ・リュートモデルノ(リュートカンタービレ)
ローネ(高調)・ローネ(低調)
・マンドバス

 Mandoloncello
 1.エンベルガー ペコラーロ
 (Embergher-Pasquale Pecoraro)
 [1907-1992]
 1977年制作  マンドロンチェロ特別注文品