リュート・モデルノ:リュート カンタービレともよばれ日本ではマンドリュートとも呼ばれる


1998年3月に入手した、ヴィナーチャのリュート・モデルノで作られてから100年近くたっているにもかかわらず、
ほとんど使用された形跡のない、無傷の状態でオールド楽器としては最高の状態で入手できました。

楽器のグレードとしてもこの当時の最高のクラスと思われます。
リュートモデルノ自体が日本ですら使われる機会が少なくなって、なかなかお目にかかれる機会が無くなりましたが、
これまで小生が見てきた楽器(経験はまだまだ未熟ですが)の中では仕上がりの美しさといい、
無傷に近い状態など最高のコンディションを持ったVinacciaの楽器です。

現在リュート・モデルノの弦はトマスティックから販売されてます、早速それを張り試奏してみると、さすがはVinacciaです。
100年近く乾燥が進んでおり1弦2弦からは乾きったクリアーで透明のある素晴らしい音色が出ます。
全体の音の出かた、通り方は、Vinacciaの音色そのものです。

全体に小振りで、楽器自体が非常に軽く出来ており、現在使ってるエンベルガーのマンドロンチェロと比較すると、1周り小さいのが特徴です。
当初弦巻きが1カ所噛み合わなかったのですが、これも当方で分解して、他の部分のギヤーと入れ替えることで簡単に直り
全部のギヤーが完全に動くようになりました、ということはこの楽器が早い段階で使われなくなってしまったことを証明してます。



エンベルガーのチェロとの比較、一回り小さいのがわかる
裏の弦を留める部分は象牙のピンで出来ている。


ヴィナーチャのサイン入りのラベルの下にもう一枚ラベルが貼ってあり、イタリア語でVinaccia自身の手で、こう書かれてます

『(この)リュートは卓越した教授で、優れた芸術家である
アメリカ合衆国、カリフォルニア州、サンフランシスコの

セニョール サミュエル アデルスタイン(Sig.Samuele Adelstein)の為に特別に制作した』

この別ラベルからして、この当時1900年代初めのVinacciaの最高クラスに近い、グレードの高いリュート・モデルノと推測されます


リュート・モデルノ》とは

なお、参考までに最近リュートモデルノの名前をマンド・リュートと称していますが、これは日本で作られた名前で、
ギター属のリュートと間違わないよう区別してつけられた俗称のようです。
多分楽器商等で混同しないよう付けられたのかも知れませんが、
世界的に通じる名前はあくまで「リュート・モデルノ」もしくは「リュート・カンタービレ」です。

これは元々独奏楽器として作られた楽器で、マンドロンチェロの高音に、もう一本複絃(E線)を足して5本としたもの。
低音から(C-G-D-A-E)と調弦します。
つまり4弦から上はマンドラ(テノール)と同じ音域で、2弦から下はマンドロンチェロと同じという、ハイブリッド的な特徴を備えた中低音楽器です。
つまりト音記号でもヘ音記号でも使用できる便利な楽器といえます
合奏の際は弦と弦の間隔が狭くなるため、大ボリュームを要求するとき若干隣の弦が引っかかり弾きづらい面もあり、
かって当団体でもチェロパートで使っておりました。マンドリン合奏でのこの分野は、現在では殆どの団体でマンドロンチェロが主流になってきています。

戦前の編成を見るとマンドロンチェロとリュートモデルノが分かれており、マンドラテノールとコントラルト、マンドローネとキタ・ローネ等と
現在と比較にならないほど、プレクトラム楽器が豊富でした。
現在ではとかく楽器不足を簡単に管楽器、絃ベースに求める姿勢を一考せねばなりません。
近年のチェロパートを見ると結構高い音域を要求されてきております。楽器自体の持つフレッチングのばらつきの差により、
高音部はなかなか綺麗な音で揃いにくいのが現状です。
リュートモデルノという楽器の持つ特徴を、今一度考え直す必要もあるかと思います。
ちなみに、かつて1924年に我が国に来日した Raffaele Calace (現在制作中のCalaceのおじいさん)はマンドリンと共に
リュートモデルノの名奏者であったことはあまりにも有名です。




サミュエル アデルスタイン(Samuele Adelstein)につきましては

当方の保存資料の中で、1994年(平成6年)8月19日の日本経済新聞の文化欄に約半ページに渡って
市毛利喜夫氏が「マンドリン和の響き100年」という記事を載せておられます。
その中にアデルスタインというマンドリン奏者を書いておられますので抜粋で紹介します。


前半略----

百年前の明治27年の6月ごろ、音楽家の四竃訥治(しかま とつじ)がイギリスからマンドリンを手に入れ、
同年八月に開催された日清戦争の戦意高揚のための「義勇奉公報国演奏会」で
自らのマンドリン、長女富士子のハープ、天羽秀子のヴァイオリンのトリオによって箏曲「八千代獅子」を演奏した、
と当時の「音楽雑誌」(我が国最初の音楽専門誌)の報じられている。
 また、この年9月に来日した米国のマンドリニスト、サミュエル・アデルスタインが、
10月に横浜の公会堂で演奏会を開き、独奏を披露している。
 我が国にマンドリンの音色が初めて響いたと言う意味では明治14年12月に横浜ゲーテ座で外国人居留地のアマチュア劇団が演じた劇中で
マンドリンの伴奏によって朗唱が行われたという記録もあるが、ともあれ日本人の手による演奏が初めて行われたということ、
また米国人によるとはいえ本格的なマンドリン演奏が日本人聴衆に披露されたという意味で、
明治27年が記念すべき年であったということがお判りいただけるのではないかと思う。

後半略-------(1994年8月19日の日本経済新聞より)



 オールド楽器、現行楽器、資料楽器、アンティーク楽器など主催者がこれまでに集めた楽器を是非ご覧下さい
セロ・リュートモデルノ(リュートカンタービレ)
ローネ(高調)・ローネ(低調)・マンドバス

 Liuto Moderno(Mandoliuto),Liuto Cantabile
 1.ヴィナッチャ (Vinaccia)   1904年制作 
 サミュエル アデルスタイン
(Sig.Samuele Adelstein)の為に制作した謹製品