エンベルガーといえば日本のマンドリン界では、創始者ルイジ・エンベルガー(Luigi Embergher
1856-1943)が死去した後、弟子のパスクアーレ・ペコラーロ(Pasquale
Pecoraro1907-1992)が後継者としてエンベルガーのモデルを作り続けてきたとされてきました。これが神戸のロッコーマンを通じて長年にわたりに渡り日本にエンベルガーとして輸入されていました。 ところが最近熱心な愛好家の調査により、興味深い事実が判ってきました。 |
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宮崎氏は自ら石村隆行氏とともにイタリアに渡りカラーチェ家やこのアルピーノのルイジ・エンベルガー&ドメニコ・チェッローネ記念館を訪れておられます。 「宮崎氏のメールより抜粋」 Domenico Cerroneについて、ルイジ没後のエンベルガーを製作していた、となっていますが、 正確には、ルイジは、存命中の1938年にエンベルガー工房をチェッローネに譲ったようです。 「優秀な弟子であり、信頼できる人物ドメニコ・チェッローネ氏にルイジ・エンベルガー工房を譲る・・・」 という、ルイジの直筆の書面を、イタリアで見てきました。 したがって、1938年以降のLuigi Embergher ラベルの楽器は、チェッローネ率いるLuigi Embergher 工房の作品、となるようです。 ちなみに、1954年にドメニコ・チェッローネが没した後も、息子のGiannino Cerrone が引き継ぎ、1960年まで続いたとの事です。 アルピーノでは、エンベルガーマンドリンはチェッローネ父子で途絶えたという事になっています。 なお、Pasquale Pecoraro は、Domenico Cerrone の甥だったように思います。こちらは分家ですね。 アルピーノで、ルイジの工房で働いた、という老紳士に話を聞く事が出来ました。 最盛期は、アルピーノの工房で週に15本前後製作して、週1度の便でローマへ運んで販売したそうです。 この人は、エンベルガー(エンベルゲル)の弟子である事を、とても誇りに思っているようでした。 |
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イタリア、アルピーノにあるルイジ・エンベルガー&ドメニコ・チェッローネ記念館へ エンベルガーの専用サイトもご覧下さい |
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1992年ペコラーロが死去、後継者がイタリアにいなかったため、日本の制作者田鎖賢彦氏が制作道具一式を買い取り、日本においてエンベルガーモデルとして現在制作を継承しているが、パスクアーレペコラーロと田鎖氏との間には全く師弟関係はなく、田鎖氏は岐阜のマンドリン制作家川田一夫氏の門下。 ペコラーロの使っていた道具、木型を使ってエンベルガーモデルと称して制作されている。従ってペコラーロから受け継いだ楽器作り、長年にわたりマンドリン奏者を魅了してきたあの特徴ある、エンベルガートーンがこのモデルに生かされているかどうかは評価の分かれるところですが、まだ作られ始めた歴史が浅いため今後を見守りたいところです。 |
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おなじみ女神に竪琴のラベルは年代を物語ってます。右上にうっすらと見える数字が1915年と書かれてある ネック裏には上下逆に 上(ボディ側)に[ L.EMBERGHER ] 下(ネック側)に [ ROME ] と 刻印が押されている |
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エンベルガーが世界的に人気があり評価が高いのは、エンベルガートーンとも言える特徴ある音色に加えて、その美しい洗練されたスタイルにある。 どの角度から見てもすばらしい、完成された美しい姿、流れるようなボディーライン見せてくれる。まさにマンドリンの中の芸術品といえよう。 弦巻き一つとって見てもまさに洗練されたデザインの美しい工芸品といえる。 あの世界的有名な奏者であったS.ラニエーリが愛用していた写真はあまりにも有名ですエンベルガーが世界的に人気があり評価が高いのは、エンベルガートーンとも言える特徴ある音色に加えて、その美しい洗練されたスタイルにある。 どの角度から見てもすばらしい、完成された美しい姿、流れるようなボディーライン見せてくれる。まさにマンドリンの中の芸術品といえよう。 弦巻き一つとって見てもまさに洗練されたデザインの美しい工芸品といえる。 あの世界的有名な奏者であったS.ラニエーリが愛用していた写真はあまりにも有名です |
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《その華やかな業績から「マンドリンのストラディ・ヴァリ」と賞賛された》
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[ Dizionario dei costruttori di strumenti a
pizzico in Italia ] より
Giovanni Antonioni 著
TURRIS EDITRICE CREMONA
三大銘器メーカー
[1856.2.4~1943.5.12]
1915年制作 コンサートモデル