フィオレンティーノ とは

結成のいきさつ
 

 


今から(2020年)さかのぼること50数年前になります、京都に「マンドリン合奏をアンサンブル・スタイルで生かそうという目的で当時学生団体で活躍した経験者、あるいは活躍中のマンドリン好きの奏者(いわゆるマンドリン馬鹿と呼ばれそうな熱心かつ 優秀な奏者たち)が集まり,「クインテット フィオレンツィノ」と名付け、初めての演奏会を(1969.6.26) 山一ホールにて開きました。

これがフィオレンティーノの前身となる活動のスタートで翌年1970年(S45年)1月8日に正式に故中野二郎先生から命名していただき、団体名「チルコロ・マンドリニスティコ・フィオレンティーノ」と称し、マンドリンアンサンブル合奏団として発足しました。(チルコロは英語のサークルの意味)

かってマンドリン音楽が開花したイタリアの古都フィレンツェにあやかり、京都の街にもっともっとマンドリンの華をと願ってつけられたこの団体名は『花咲く都のマンドリン愛好家たちのサークル』の意味です。


日本のマンドリン界の抱える永年の悩み
 

 


今も昔も大きく変わりませんが、日本のマンドリン界はその多くをアマチュアが支えてきて、日本に於いてマンドリン合奏というものが大集団による大合奏中心に、しかも学生団体がその中心的存在となってマンドリン音楽、マンドリン合奏をリードしてきました。つまりプロをめざしても飯が食えない、食えない故育たない、アマチュア団体それも大学のクラブに頼らざるを得ないという歴史が続いてきました。

そんな斯界に風穴を開けるためにも発足したのがこの団体でアマチュアであってもプロ並みの演奏を目指すそんな初心の志で活動を続けてきました
現在の活動  現在メンバーの高齢化に伴い、あるいは逝去に伴う欠員、プロへの転向など諸事情により演奏活動は休止しておりますが、資料研究のためのホームページは残させていただき資料面や楽譜の入手、中野譜庫の海外向け公開発信、参考演奏のための過去の演奏記録のアップロードなどマンドリン愛好家の皆様に少しでもお役に立てればと活動いたしております