このページの文章は辻本氏が掲載されているFaceBookから、氏のご厚意により
承諾いただきそのまま掲載しております。(敬称略)

C.A.Braccoのフルネームが“Calogero Adolfo Bracco”と判明致しました。
(カロジェロ(又はカロージェロ)・アドルフォ・ブラッコ)
多くの偉大な先輩方が探し求めていた“100年の謎”がようやく解明されました。

【C.A.Bracco の謎】

彼のどの作品を参照しても、“C.A.Bracco”としか記載されておらず、未だにフルネームが分からない作曲家でした。

この点、JMUは、イタリアの某氏の見解に基づいて、“Carlo Albert Bracco”だと発表しました。(JMU機関紙 No.164 2000.04)
しかしながら、某氏の見解には資料的根拠がなく、「解釈」というよりは単なる憶測といっても過言ではないでしょう。
(もっとも、その後、この説が日本では広く受け入れられることになります。)

※某作曲家辞典には、“Carlo Albert Bracco”と記載されておりますが、参考文献等は併記されておりません。

有力な手がかりとして、石村隆行氏によると、「Il Mandolino (1905.02) には、“C. Adolfo Bracco”と記載されており、内容がBraccoの訃報であることから信用性も高い」とご指摘されておりました。(添付1つ目の資料)

※余談ですが、岡村光玉氏(同志社大OB)による、“Carlo Adolfo Bracco”説も一部支持されておりますが、こちらも資料的根拠がありません。

それでは、“C”、彼のファーストネームは一体何なのか?

この度、私は、ジェノヴァ(ブラッコの没地)在住のマンドリニスト、Carlo Aonzo氏に直接コンタクトを取り、調査を依頼した結果、

“Calogero Adolfo Bracco”

と判明致しました。

アオンツォ氏曰く、ジェノヴァの市役所に対してブラッコの死亡証明書(2つ目の資料)、教会に対してブラッコと妻ローザに関する情報が記載されたリスト(3、4つ目の資料)を照会してもらったそうです。

彼の死亡証明証によると、
45歳、出生地はBiella (Piedmont) 、
Genova, Piazza Gerolamo Savonarola n. 7 で1905年1月22日午前8時30分に逝去、
父は、Ignazio Domenico Bracco、
母は、Francesca Bianchina Zanotti、
配偶者は、Rosa Villa、
であることが分かります。

これは公文書に記載されている情報であり、教会が保管していたリスト、上記のIl Mandolinoに記載されている情報と一致することから、信用性が非常に高いと考えられます。

※教会のリストはラテン語で書かれているため、綴りが若干異なります。

“Carlo Albert Bracco”はデマであり、本当の名前は“Calogero Adolfo Bracco”であること。
マンドリンを愛している多くの方々に知られることを望みます。

Grazie mille, Carlo !

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