二長調プレクトラム四重奏曲
 
カルロ・ムニエル作曲
 
 全生涯をマンドリンに捧げた人と云えば、やはり彼とラファエーレ・カラーチェを双璧としなければならない。
ムニエルがマンドリン音楽の父と称せられる所以(ゆえん)は既に語り尽くされているので改めて述べるまでもないが、本邦では合奏曲よりもむしろ独奏曲の方で馴染まれている。
度々開かれている独奏のコンクールでは毎回必ずムニエルのソロ曲が登場している。
純プレクトラム四重奏曲としては既にト長調(作品76番)が書かれているが、本曲とも斯うした純音楽がマンドリンに書かれたことは画期的なことで、単にマンドリン愛好家の耳目を峙(そばだ)てたのみでなく、当時のイタリア音楽界にも注目されたのである。
このことはこの曲がフィレンツェの作曲家、ヴァイオリニスト、著述家として著名のアルナルド・ボナヴェンテューラ(Alnaldo Bonaventura)教授に贈られているのを見ても作者の自負が窺われるのである。
ムニエルは更に作品203番の「ハ長調四重奏」を書いているが、この二長調が最も華麗で愛奏される所以(ゆえん)であろう。
ところで本曲がフィレンツェで出版されたのは1908年(マウリ)なのであるが、1901年10月クレモナの四重奏団に贈られた作者自筆の総譜(石村隆行君入手)を見ると奇妙にも出版譜よりも遥かに指示が詳細で而も第二楽章がアンダンテ・エスプレッシーボ、第三楽章がカンツォネッタとなっている。
元来曲の構成では通常第二楽章は静かなものが一般で第三楽章がミヌエットの様な軽い舞曲が置かれるのが普通である。
後年出版せられたものが却って杜撰(ずさん)なのは作者の眼が充分届いていなかった憾みがある。従ってここでは自筆に準拠して演奏して頂くこととした。



[いる・ぷれっとろ番外編]